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「Google」という企業の恐ろしさ

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2006-08-12(土) 22:40(UTC +0900) p

先日から引き続き、蔵出しネタが続きます。今回は「Googleに対する見方」ってネタですね。


clip IT!
from nikkeibp.jp : ネット・エコノミー解体新書
グーグルは「広告業」ではない


ネタ元記事の結論は、Googleは「広告業ではなく」、「広告代理業でもなく」、「○○」となるわけですが、私の目からすればもう一段あるように思えるわけです。
(○○についてはネタ元記事を参照のこと)

で、ネタバレすると「広告業ではなく」、「広告代理業でもなく」、「非常に有力な潜在顧客を店まで連れてきてくれる営業代理業」であると結論づけているわけですね。確かにその通り、収益構造からするとそういうことになるのでしょうが、その収益を上げる仕組みが基本的に機械化されているという点がミソで、広告を取ってくる部分も広告を販売する部分もほとんど機械化・自動化されているわけです。
つまり、営利企業の運営に不可欠な「収入を得る」という部分がほとんど自動化されている訳ですね。

この辺は一般的な企業とは全く逆で、例えば製造業ならばモノ造りの工程とか物流の仕組みとかを頑張って省力化・無人化・自動化させて、営業活動とかイメージ戦略とかに人手を掛けていく訳ですが、Googleではその辺をコードでサクッと自動化してしまっている訳です。
その代わり、モノ造りにおける品質の作り込みとか物流の改善に当たる足回りの強化とか、その辺に相当するような検索エンジンとしての検索精度の向上や効率化、更なるインデックスの取り込みによる絶対的な足回りの強化、そして激烈なコンピューティングパワーと無尽蔵とも言えるほどのストレージの「拡張・保守・可用性の確保のための仕組み」作りを、これまた自動的に効率的に実現できるようにするためのコードの開発に尽力している訳です。
つまり、自動的にお金儲けが出来るだけの仕組みを整えることにより、直接的に金儲けに繋がるようなことだけにとらわれずに済む環境を作り出し、天才的な頭脳が自分の好きなように好きなことをしながらその片手間でGoogleの為になるような成果物を還元してもらえれば、十分すぎるほどに更なる利益を上げることが出来るという循環構造を確立できていると云うコトですね。

と云うコトで、私の目からすると、どうにもGoogleという組織は「完全独立採算で莫大な利益を上げることの出来る科学研究所」に見えるというハナシです。


或いは、中世ヨーロッパにあったような「パトロンとアーティストの関係」にも似ているのかも知れませんね。
荘園経営や交易収入などにより半ば自動的に富を集約できる大金持ちが、天才的な芸術家に十分な設備を与え衣食住を保証し、ある程度好きなように芸術活動をさせた上で、自分のための作品を作らせたり余技を余興として供させたり、成果物の一部は後世にまで末永く伝えられる世紀の遺産と呼ばれるほどの価値を認められたり、と。当然それらの栄誉は、本業の方にもそれなりの利をもたらしたコトでしょう。
Googleはそのような練金の仕組みに於いて、奴隷や貧困小作農などの搾取される層を作ることなく、略奪・殺戮・破壊行為などの不善を為すことなく、いわばWin-Win-Winな関係でその仕組みを回して行けているところが、何とも凄いハナシな訳です。
そして、そんなGoogleだからこそ皆安心して色々な仕組みをゆだね諸々の情報を預けている訳ですが、その現実は、とても恐ろしいことでもあることを理解しておきたいですね。

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